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philosophy
#考察

「主義」と「志向」:知の価値評価と不確定性について

知の価値について、それは事前に確定できるのかどうかについての考察

問題設定

技術・学問・経験など、知識一般の価値は、しばしば「役に立つかどうか」という基準によって評価される。 一方で、「すぐには役に立たないものこそが本質的価値を持つ」という、これと反対方向の評価もまた見られる。

これら二つの立場は、一見して対立的なものに映る。しかし本稿では、この対立をそのまま受け取るのではなく、より一般的な問題構造の異なる現れとして捉え直すことを試みる。

本稿の主張は次の通りである。

問題は、価値判断の基準が利益的であるか非利益的であるかではなく、いずれか一方を唯一の価値基準として固定し、他方の価値を否定または矮小化する態度そのものにある。

このような態度を、ここでは「主義」と呼ぶ。そしてそれと区別される評価態度として、「志向」という概念を導入する。

利益主義・利益志向・反利益主義

議論の出発点として、まずは「利益主義」と「利益志向」を区別する。冒頭でも触れた通り、「役に立つかどうか」という評価軸、すなわち「利益」に適うかどうかという判断は世に溢れているからだ。 以下では、「利益主義」と「利益志向」、さらに「反利益主義」という3つの概念を区別することを通じて、「主義」と「志向」の差異を明らかにしていく。

利益主義と利益志向

ここで言う利益主義とは、物事の価値を「具体的な利益に結びつくかどうか」によって裁定し、利益に直結しないと見なしたものの価値を否定、あるいは矮小化して扱う態度を指す。

対して利益志向とは、複数の価値の中で、具体的な利益につながると考えられるものを状況に応じて優先する態度である。これは優先順位の問題にとどまり、それ以外の価値の存在を否定するものではない。

両者の差異は一見些細に見えるが、決定的である。前者は価値の有無そのものを裁定する。利益主義においては、評価者が想定できない価値は、初めから評価対象から除外される。 一方、後者はあくまで一時的な「重み付け」にすぎない。利益志向においては、他の観点からの価値も依然として存在しうるし、状況次第で他の価値が優位になることも受け入れる。

反転構造としての反利益主義

同様の問題構造は、利益主義とは逆方向の立場にも見出される。

すなわち、「直ちに利益へ接続しないものにのみ価値を認め、利益的なものの価値を否定・矮小化する」という態度である。ここではこれを反利益主義と呼ぶ。 反利益主義は、利益主義とは評価軸が逆転しているものの、構造的には極めてよく似ている。どちらも、価値を単一の基準に還元し、それ以外の価値を否定または矮小化する点で共通している。

したがって、利益主義と反利益主義は単純な対立項ではなく、同一の問題を異なる方向から表出させたものとして理解することができる。

「主義」に伴う、価値の単眼化

以上を踏まえると、問題の核心は「どの価値を重視するか」ではない。問題は、価値評価が単一の軸に固定されること、すなわち価値の単眼化にある。

本稿でいう「主義」とは、特定の価値基準を最終的かつ排他的なものとして設定し、その基準に合致しない対象の価値を否定または矮小化する態度を指す。 主義は、世界の複雑性や多義性、不確定性を削減することで判断の容易さを得るが、その代償として、評価者の視野の外にある価値を切り捨ててしまう。

対して「志向」は、価値評価に一定の基準や優先順位を導入しつつも、それを最終的・不可逆的なものとは見なさない。単一の軸から価値評価を行うことを避け、あくまで「重み付け」で留めることになる。 なお、この「重み付け」自体も固定されるものではなく、目的や制約の変化に応じて更新されうる。

「主義」は知の価値を確定・固定化しようとするが、「志向」は知の価値には不確定性があると考え、再評価・再検討の余地を残す態度である。

文脈依存的価値判断の検討

ここで言う「主義」に対して、次のような主張が考えられる。
すなわち、「知の価値が一般に事前確定できるとは考えていない。ただし、特定の文脈においては、ある種の知や営為は役に立たず、したがってその文脈においては価値がないと言っているにすぎない。故に私は、“主義”の立場ではない」という立場である。

一見すると、この主張は知の価値について一定の不確定性を認め、「主義」的立場からは距離をとっているように見える。しかし、価値評価の構造に着目すると、問題は依然として解消されていない。

というのも、この反論は「文脈」という要素を付加した上で「この文脈では価値がない」と断定することにより、文脈を価値評価の確定点として機能させているからである。 その結果、設定された文脈内部における将来的な価値の再解釈や転用の可能性は、事実上考慮から外されている。

したがって、「~の文脈においては」という但し書きをつけたとしても、そのあとに価値を確定する言明が続く限り、それは依然として「主義」的態度である。

これらの点を踏まえるならば、「この文脈では価値がない」と断定することと、「この文脈では現時点では優先度が低い」と判断することとは、明確に区別されなければならない。前者は価値の固定化を伴うが、後者は暫定的な配置にとどまる。

重要なのは「文脈を考慮するか否か」ではなく、「価値を否定する断定に踏み込むか、それとも暫定的な優先度判断に留めるか」である。

主義の不安定性

主義はしばしば明確で一貫した立場として提示されるが、実際には不安定である。価値を単一軸に固定する以上、その軸では説明できない事例や反例に直面したとき、立場の整合性を維持することが困難になる。

その結果、主義的態度は、ある場面では否定した価値を別の場面では必要に応じて承認するといった、場当たり的な振る舞いを示しやすい。これは個人の一貫性の欠如というよりも、価値の単眼化という構造的制約の帰結として理解されるべきである。

付論:本稿で用いた用語について

「主義」

「主義」とは、特定の価値基準を最終的かつ排他的なものとして設定し、その基準に合致しない対象の価値を否定または矮小化する態度を指す。

「志向」

「志向」とは、価値評価に一定の基準や優先順位を導入しつつも、それを最終的・不可逆的なものとは見なさない態度である。

文脈

文脈とは、ある対象や知が理解・評価される際に前提とされる状況的・目的的条件の集合を指す。文脈は本質的に暫定的であり、後続の実践や理解によって再構成されうる。

「重み付け」

「重み付け」とは、複数の価値の間に相対的な優先度を与える判断の形式を指す。重み付け自体も暫定的であり、将来的に再配分されうる。

断定と主義

文脈や重み付けを最終的な評価関数として固定し、「価値がない」と断定する態度は主義的である。可能なのは、暫定的な重み付けまでである。

「反」と「非」

本稿では、「反A」と「非A」を区別して用いている。「反A」はAに対立する立場を指すが、「非A」は「Aではない」という否定的属性を示すにとどまる。

したがって、「反利益」は利益という価値基準に対立する(利益を価値として採用しない、あるいは利益的なものを劣位に置く)立場を指し、「非利益」は単に利益そのものではないことを指す。 後者には、将来的に利益へ接続しうるものも、接続しえないものも含まれうる。

展望:認識論的不確定性との接続可能性

本稿で論じた主義と志向の区別は、価値論にとどまらず、認識論的な問題圏とも接続しうる。

知や技術の価値は、それがどのような文脈で理解され、どのような実践において用いられるかによって、事後的に立ち上がる。この意味で、知の価値評価は本質的に暫定的である。

主義的態度は、この不確定性を評価実践のレベルで拒否する振る舞いとして理解できる。これに対して志向的態度は、不確定性を前提とした上で判断を行う姿勢として位置づけられる。

この対応関係をについて考察することは本稿の範囲を超えるため、今後の検討課題とする。

結論

本稿では、価値評価における問題を「主義」と「志向」という枠組みで整理した。問題はどの価値を重視するかではなく、特定の価値基準を唯一のものとして固定し、他の価値を否定または矮小化する態度にある。

「志向」とは、価値に「重み付け」を行いつつも、その「重み付け」自体を暫定的なものとして保持し、将来的な再評価や優先度の変化を排除しない態度である。

複雑で不確定な世界において求められるのは、正しい主義を選ぶことではなく、主義から距離を取り続けることである。