「わかりやすい」「わかりにくい」考4
「わかりやすい」「わかりにくい」という評価の構造を分析し、その語法に伴う問題点と取り扱い方を考察する
前提
はじめに —— 「わかりにくい」という評価への違和感
あるテキストを複数人で読んで議論していたとき、私には明晰で論点も明確に思えた文章に対して、「わかりにくい」という評価が複数人から出された。
そこまでは問題ではない。理解の経験が人によって異なること自体は当然である。
だが、その直後に、「つまり、このテキストは説明が悪い」という評価が、ほとんど自動的に下されたことに強い違和感を覚えた。
そこでは、「わかりにくい」という主体の内的体験が、ほとんど無反省に、対象であるテキストの性質へと帰属されていた。
あたかも、
- わかりにくいと感じた
- ゆえに、その説明は悪い
という推論が、疑われることなく成立しているかのようだった。
本稿は、この違和感―― 「わかりにくい」という体験は、そのまま説明の欠陥として扱われてよいのか」 という問いを出発点とする。
本稿の構成は次の通りである。
- 基本的立場
- 共通例
- 重要語彙の定義
- 評価語(「わかりやすい」「わかりにくい」)の構造的位置づけ
- 評価に伴う責任(説明者/理解者)の構造的切り分け
- 説明改善に向けた構造的操作
- 説明改善に向けた形式的操作
- まとめ
1. 基本的立場
「わかりやすい/わかりにくい」を、対象そのものに備わった性質として捉える見方がある。
本稿は、その見方を取らない。 本稿ではこれらを、対象とそれを扱う主体との関係によって立ち上がる評価として扱う。
ただし、これは主観相対主義を意味しない。主観的な体験が生起する構造は、客観的に記述できる。 ここでいう「客観的に記述できる」とは、個々人の感想としてではない。どの問い(対象・意味・妥当性・地平)が未解消か、またどの操作(明示/先送り/削除)で処理されうるかを、第三者が追跡できる形で記述できる、という意味である(各用語の意味は後述する)。
本稿の目的は、「わかりやすさ」を価値判断や努力論から切り離し、認識構造の問題として記述することにある。 そのために本稿で扱う内容は以下の通りである。
- (a) わかりやすさ評価の認識構造の記述を行う
- (b) その構造に基づく会話上の介入手順の記述を行う
- (c) 具体的な因果推論の正当化は扱わない(共通例は「構造の固定具」として用いる)
本稿は特に、読書会・授業・会議など、説明と理解が同一の場で相互作用する状況を主な想定としている。 その他の場面でも適用可能な想定だが、状況に応じた調整が必要になる可能性がある。
2. 共通例
以下の発言(主張)を、すべての分析で共通に用いる。
この薬を飲んだ人は、症状が改善している。 だから、この薬には効果がある。
より具体的には、次のような説明場面を想定する。
- ある観測データにおいて「薬を飲んだ人ほど症状が改善している」という関連が観測された
- 説明者が「だからこの薬が症状を改善した(効果がある)」と述べる
説明者の発言(共通例):
この薬を飲んだ人は、症状が改善している。 だから、この薬には効果がある。
本稿では、対象を次に固定する。
対象:この発言が行っている「因果(この薬の服用→症状改善)の主張」の妥当性評価
3. 重要語彙の定義
本節では、前節で固定した共通例を最後まで保持したまま、本稿で用いる重要語彙を定義する。
抽象的定義だけではなく、この例において「対象とはこれである」「問いとはここで発生しているこれである」という形で、語彙を構造に固定することが目的である。
3.1 対象(object)
対象とは、主体がいま「何について」認識しているかを規定する志向の焦点である。
共通例において、説明者が次の発言をしたとする。
この薬を飲んだ人は、症状が改善している。
だから、この薬には効果がある。
このとき、対象は次のように固定されている。
対象: 「この薬には効果がある(この薬の服用→症状改善)」という 因果主張
重要なのは、ここで対象が
- 症状が改善しているという記述(観測の記述)
- データの取り方の説明(方法論)
- 「薬」「症状改善」の概念定義(語の説明)
そのものではない、という点である。
もし説明の途中で、
「改善率はこういう指標で……」
のような説明が挿入されると、対象は効果主張の妥当性 → 観測指標や測定方法へと暗黙に切り替わりうる。
この切り替えが明示されない場合、理解者は「いま何についての話なのか」という対象の問いを抱えることになる。
3.2 意味(meaning)
意味とは、対象を「何として」理解しているかというカテゴリー付けである。
共通例において、核心となるのは「改善している」および「効果がある」の理解である。
- 意味A:「改善している」は この薬の作用による改善(因果を含む)
- 意味B:「改善している」は 服用者に改善が観測されたという事実(原因は未確定)
説明者が意味A(改善=薬の効果)を暗黙に前提にし、理解者が意味B(改善は観測されたが原因は不明)を前提にしている場合、両者は同じ対象(効果主張)を見ていながら、まったく異なる結論に至る。
このズレは、
「ここで言う『改善している』は、薬の効果を含意する言い方なのか?」
という意味の問いとして現れる。
3.3 地平(perspective)
地平とは、対象と意味が成立するために暗黙に前提されている文脈・条件・知識の総体である。
共通例の効果主張には、少なくとも以下の地平が関与する。
- 観測データはどの母集団・期間・条件から得られたか
- 交絡(第三の要因)を排除できているか
- 逆因果(症状改善→服用)の可能性は検討されたか
- 介入や実験、自然実験など、因果推論の枠組みが導入されているか
説明者がこれらを一切明示せずに「だから効果がある」と言った場合、理解者は次の問いを抱く。
「どの条件・前提のもとで効果だと言っているのか?」
これが地平の問いである。
3.4 妥当性(validity)
妥当性とは、ある前提から結論へ進む際に用いられている推論が、一般に許容される推論として成り立っているかどうかを指す。 ここで問題にしているのは、結論の真偽ではなく、推論の型である。
共通例の発言を妥当性の観点から分解すると、次の構造をもつ。
- 前提P:この薬を飲んだ人は症状が改善している(服用と改善の関連が観測された)
- 推論R:服用者に改善が見られるなら、この薬が改善させた(効果がある)
- 結論C:この薬には効果がある(この薬の服用→症状改善)
しかし、一般に推論Rは成立しない(観測された関連は因果を含意しない)。したがって、この説明は妥当性を欠く。 ここで重要なのは、理解者が「なるほど」と感じたかどうかは、妥当性の成立とは無関係という点である。
説明者の発言に推論が明示されなかった、あるいは理解者が推論に対して疑義を持った場合、以下の問いが生まれる。
「なぜそう言えるのか?」「その推論は妥当なのか?」
これが妥当性の問いである。
3.5 問い(question)
問いとは、対象・意味・地平・妥当性のいずれかが主体において未確定であることによって生じる、充実要求の形式である。
共通例では、次の問いが典型的に発生する。
- 対象の問い:
「いま主張されているのは『改善が観測されたこと』か、それとも『薬の効果』か?」 - 意味の問い:
「ここで言う『改善している』は、どの意味で用いられているのか?」 - 地平の問い:
「交絡や逆因果の可能性は排除されているのか?」 - 妥当性の問い:
「なぜ『改善している』だけで『効果がある』と言えるのか?(推論規則は何か?)」
問いとは、構造上、満たされていない項目の指標である、とも言い換えることができる。
3.6 充実(fulfillment)
充実とは、問いが満たされ、対象が「そうであるもの」として構成された状態である。
例えば説明が次のように修正されたとする。
この薬を飲んだ人は、症状が改善している。
しかし、それだけでは「この薬には効果がある」とは言えない。
ただし自然回復や第三の要因(交絡)、逆因果の可能性を検討したうえで、
追加の根拠(介入・比較・設計)があるなら効果を主張できる。
このとき、
- 対象(効果主張)
- 意味(「改善している」=観測された改善、原因は未確定)
- 地平(交絡・逆因果・設計の前提)
- 妥当性(観測された関連→効果が成立する条件)
が揃い、理解者は「なるほど、服用者に改善が見られても、それだけでは効果があるとは言えず、追加条件が必要なのか」と把握できる。
これが充実の成立である。
なお、充実の成立には、問いが原理的に解消可能であること(構造条件)だけでなく、その解消が処理可能なコストで提示されていること(処理条件)も関与する。 本稿ではこの区別を第7章で扱う。
3.7 証拠性(evidence / Evidenz)
証拠性とは、充実によって「そうだと理解できた」だけでなく、その理解が適切な推論・検証・根拠によって支持されている状態、すなわち「なぜそれをそうだと見なしてよいのか」を説明対象そのものから引き出せる状態である。
つまり、ここで言う証拠性は、「強く納得した」「疑いを感じない」といった心理的な確信や主観的印象だけ、あるいは「だれそれがこう言っている」という権威だけを根拠とした正当化を指すものではない。 これらは、いずれも「なぜその主張をそうだと見なしてよいのか」を説明対象の内部から示すものではなく、主体の反応や外部要因によって正当化を代替してしまうためである。
共通例で証拠性が成立するのは、例えば次の場合である。
- 交絡を制御した設計(実験・準実験・自然実験・統計的調整)が提示されている
- 代替説明(交絡・逆因果・選択バイアス)が比較検討されている
- データと推論の連鎖が追跡可能であり、再現・検証の見通しがある
重要なのは、充実は成立しても、証拠性は成立しないことがあるという点である。
「この薬を飲んだ人は、症状が改善している。だから、この薬には効果がある」という説明は、理解者に充実を与えうる。 しかし、その充実が正当であるという根拠をその説明そのものから引き出せる状態に無い(したがって、この主張を正当化するためには、追加の論証やデータの提示が要求される)という点で、証拠性を欠いたままである。
3.7備考:妥当性と証拠性の違いについて
妥当性は「その推論を使ってよいかどうか」の問題である。 一方、証拠性は「その妥当な推論が、説明として実際に示されているかどうか」の問題である。
妥当性は規則の問題であり、証拠性は説明の問題である、と言い換えても良い。
以降の例で、両者の違いを確認する。
この薬を飲んだ人は、症状が改善している。 だから、この薬には効果がある。
観測された関連から効果を結論する推論規則は一般に妥当でないため、妥当性を欠く。 また、妥当な推論も根拠もこの説明では提示されていないため、証拠性も弱い。
この薬を飲んだ人と、成分の入っていない偽薬を飲んだ人を、無作為に分けた。 それ以外の条件は同じにしたところ、薬を飲んだ人のほうだけ症状が有意に改善した。 したがって、この薬が症状を改善したと考えられる。
この推論規則は、以下の理由から一般に許容される
- 「たまたま良くなった人」を排除している
- 「他の要因」を両群で揃えている
- 「薬を飲んだ/飲まない」以外の違いを消している
したがって、妥当性は成立している。 さらに、それが説明として追跡可能に提示されているため、証拠性も成立している。
「この薬が症状を改善した」 (頭の中では正しい推論をしているが、説明では省略している)
この場合、適切な推論が行われているので、妥当性は成立している。 しかし、その推論が説明として提示されていないため、証拠性は弱い。
このように、妥当性があっても証拠性が弱い説明はありうる。 そのため、妥当性と証拠性は区別される必要がある。
3.8 小括
以上から、次が明確になる。
- 「わかった」という感覚(充実)は、問いの処理結果である
- 「正当である」という把握(証拠性)は、適切な推論・検証・根拠が提示されていること、およびそれがどの前提条件の範囲で成立するかが追跡できることに依存する
- わかりやすさは、これらとは別の次元に属する
この区別を失ったとき、「わかりやすい」という判断は、説明の正しさや責任を誤って代理してしまう。
また、問いは次の4型に分類できる。
- 対象の問い:いま何についての話か
- 意味の問い:それを何として理解しているか
- 妥当性の問い:なぜそう言えるか
- 地平の問い:どんな前提のもとで言っているか
問いと充実の関係は、次の図に示される。
4. 「わかりやすい」「わかりにくい」の構造的位置づけ
本章では、「わかりやすい」「わかりにくい」という評価語を、主観的印象や修辞的表現としてではなく、認識構造上のどの位置を指している語なのかという観点から整理する。
結論から先に述べれば、本稿の立場では次のようになる。
- 「わかりやすい/わかりにくい」は充実(fulfillment)の成立しやすさに関する評価である
- それは 証拠性(evidence)の有無や強度を直接には含意しない
この点を順に確認する。
4.1 「わかりやすい」は何についての評価か
日常語としての「わかりやすい」は、しばしば次のように使われる。
- 説明が簡潔である
- 直感的である
- すぐ理解できる
しかし、これらはいずれも曖昧であり、 認識論的には次の問いを残す。
「何が、どの段階で、どのように成立しているのか」
本稿の語彙を用いれば、「わかりやすい」と評価される状態は、 次のように特徴づけられる。
- 対象が容易に定まる
- 意味の解釈に迷いが生じにくい
- 地平が共有されていると感じられる
- 妥当性に関する問いが発生しにくい
言い換えれば、問いが少なく、あるいは(問いが同じでも)解消コストが低く、充実が低い摩擦で成立する状態が「わかりやすい」と経験される。
ここで重要なのは、この評価が 充実の成立に関する主観的経験を指している点である。
4.2 「わかりにくい」とは何が起きている状態か
これに対して、「わかりにくい」と評価される状態では、認識過程のどこかで摩擦が生じている。
具体的には、次のいずれか(あるいは複数)が起きている。
- 対象が定まらない(いま何についての話か分からない)
- 意味が確定しない(語や操作をどう解釈すればよいか迷う)
- 地平が共有されていない(前提や条件が見えない)
- 妥当性が把握できない(なぜそう言えるのか分からない)
これらはいずれも、第3章で定義した問いの未解消状態に対応する。
したがって「わかりにくい」とは、問いが多い/所在が不明確である/(問いが同じでも)処理コストが高いために、充実に至りにくい状態を指す語である。
ここでも重要なのは、「わかりにくい」が 誤りや不正確さを意味しないという点である。
4.3 「わかりやすさ」と証拠性は互いに非含意
直感的には、「わかりやすい説明ほど正しい」という期待が存在する。 しかし、本稿の枠組みでは、これは成立しない。
理由は明確である。
- わかりやすさは 充実の成立しやすさに関わる
- 正しさ(認識的正当性)は 証拠性に関わる
両者は異なる次元の現象であり、一方から他方は導出できない。 つまり、「わかりやすい」から証拠性を導くことはできず、その逆も同様に成立しない。
共通例に即して言えば、「この薬を飲んだ人は、症状が改善している。だから、この薬には効果がある。」という説明は、問いがほとんど発生せず、充実は容易に成立する。その意味で「わかりやすい」。
ところでこの説明は、「観測された関連があるなら効果(因果)である」という推論規則(R)を暗黙に含む。 しかし一般に、このような推論規則Rは成立しない。したがって、この説明は(構造として)その正当性を欠きうる。
理解者の側では、この点が「なぜこの観測(服用者で改善が見られること)から効果が言えるのか」という妥当性の問いとして現象化する場合もある。 ただし、問いが現象化しない場合1でも、当の対象(効果主張)について証拠性が成立したことにはならない。 誤った推論に基づく説明である以上、「なぜそれをそうだと見なしてよいのか」を説明対象そのものから引き出せる状態ではないからだ。
このように、わかりやすさは、正しさの指標にはならないという点が、構造的に導かれる。
4.4 なぜ「わかりやすさ」が過剰に重視されるのか
それにもかかわらず、 実践の場では「わかりやすさ」が強い評価軸として機能する。
これは偶然ではない。
わかりやすさが指しているのは、理解(充実)に至るまでの解消コスト2の少なさであり、これは主体にとって即時的にアクセス可能な体験だからである。
一方、証拠性の評価には、
- 前提の検討
- 推論の追跡
- 代替案との比較
といった追加的作業が必要であり、即時的な体験としては与えられにくい。
その結果、「わかりやすい」という体験が、「正しい」「説明が良い」という評価を代理してしまうという転倒が生じる。
4.5 「わかりやすさ」と証拠性の象限モデル
ここでは説明上、**わかりやすさ(充実の成立しやすさ)**を「わかりやすい/わかりにくい」、証拠性を「強い/弱い」と粗く二分し、四象限モデルとして整理する。
わかりやすい X 証拠性が弱い
この薬を飲んだ人は、症状が改善している。
だから、この薬には効果がある。
推論・検証・根拠が提示されないまま、理解の感覚だけが成立する(=わかりやすい)が、証拠性は弱い(=この説明だけで正当化の根拠を十分に追跡できない)。
わかりやすい X 証拠性が強い
服用者に改善が見られるだけでは効果は言えない。
交絡や逆因果を検討し、必要な設計・根拠が揃った場合にのみ効果を主張できる。
問いが整理され、充実と証拠性が両立する(=少なくとも、この説明の内部で正当化の根拠を追跡可能になっている)。
わかりにくい X 証拠性が強い
交絡・バイアス・識別条件・設計(介入や自然実験など)を多層的に説明する
証拠性はあるが、問いが過剰に発生し充実に失敗しやすい(=わかりにくい)。
わかりにくい X 証拠性が弱い
「改善しているんだから、効果に決まっている(反証は不要)。」
問いが多く発生する上に、「この説明だけでは正当化の根拠を十分に追跡できない」という状態が、問いの封殺によって表に現れにくくなる。
4.6 本章の位置づけ
本章で示したのは次の点である。
- 「わかりやすい/わかりにくい」は 認識過程の 充実段階に関する評価語である
- それは 証拠性とは互いに非含意であり、正しさを保証しない
- にもかかわらず、実践ではしばしば混同される
問い・充実・わかりやすさ・わかりにくさの関係は、次の図にまとめられる。
5. 説明者責任/理解者責任の構造的切り分け
前章までで見たように、「わかりにくい」という評価は、問いが未解消のまま残っている状態を指す。 しかし、続いてが次の点が問題になる。
その問いは、誰が解消すべきなのか。
本章では、問いの型ごとに、説明者と理解者のどちらに構造的な責任が帰属するのかを整理する。 ここで言う「責任」とは、努力や善意といった道徳的概念ではない。認識構造上、その問いを解消できる位置にいるのは誰かという意味での責任である。
5.1 対象の問いと説明者責任
対象の問いとは、「いま何についての話なのか」が不明確であることから生じる問いである。 共通例では、対象は「この薬には効果がある(服用→改善)という効果主張の妥当性評価」として固定されているはずだった。
しかし説明の途中で、「改善率の計算方法は……」といった話題が混入し、 それが「いまの議論の対象」なのか「補足」なのかが明示されない場合、 対象は暗黙に効果主張の妥当性 → 観測指標の定義・測定へと切り替わる。 この切り替えが明示されていない場合、理解者が対象の問いを抱くのは避けられない。
重要なのは、この問いを解消できるのは、説明者しかいないという点である。 理解者は、「説明者が何について話そうとしているか」を内側から決定することはできない。 したがって、対象問いに対する責任は、ほぼ全面的に説明者にある。
対象が不明確な説明は、それだけで構造的に不十分である。
5.2 意味の問いと責任の分担
意味の問いとは、「それを何として理解すればよいのか」が定まらないことから生じる問いである。
共通例では、「改善している」を
- 薬の作用による改善(効果を含む)として理解するのか
- 服用者に改善が観測されたという事実として理解するのか
という意味の分岐が存在する。
説明者がどの意味を想定しているかを一切示さない場合、理解者は意味の問いを抱くことになる。 ただし、意味の問いの場合、責任は一方的ではない。 説明者には「多義点を可視化する責任」が、理解者には「自分の理解がどれに基づいているかを点検する責任」が、それぞれ存在する。
したがって、意味問いに関しては、説明者・理解者の責任は中程度に分担されると位置づけられる。
5.3 妥当性の問いと説明者責任
妥当性の問いとは、「なぜそう言えるのか」という理由づけに関する問いである。
共通例の「この薬を飲んだ人は、症状が改善している。だから、この薬には効果がある。」という説明では、 「観測された関連→効果」という推論規則が提示されているが、一般にはそれは成立しない(妥当性を欠きうる)。
ここで重要なのは、理解者がどれほど注意深く読んでも、その場での説明の内部からは創出できないという点である。 理解者が自身の知識・推論に基づいて補うことは可能だが、それは、説明行為の内部で妥当性を成立させることとは異なる。 理解者が補った時点で、それはもはや当の説明ではなく、理解者が別途構成した理由づけである。 したがって、元の説明が妥当性を提示していないという欠陥は消えない。
理由づけを提示することは、説明行為の一部であり、理解行為の外部にある。 したがって、妥当性問いに対する責任は、説明者に強く帰属する。
妥当性を省略した説明は、わかりやすさとは無関係に、構造的欠陥をもつ。
5.4 地平の問いと条件付きの説明者責任
地平の問いとは、「どの前提・条件のもとで言っているのか」が不明確であることから生じる問いである。
因果推論においては、たとえば
- 交絡は制御されているか
- 逆因果は排除できるか
- 観測範囲はどこまでか
といった地平が不可欠である。
説明者がこれらを暗黙に想定している場合、理解者は地平の問いを抱く。ただし、地平は原理的に無限であり、すべてを列挙することは不可能である。 したがって説明者の責任は、どの地平に立っているかを明示することに限定される。
一方、理解者にも、その地平が自分の文脈と一致しているかを点検する責任がある。
このため、地平問いに関しては、説明者責任は中〜強、理解者責任も中程度と位置づけられる。
5.5 小括:責任配分の意味
以上の分析から分かるのは次の点である。
- 「わかりにくい」という評価は、責任の所在を自動的に決定しない
- 問いの型ごとに、解消可能な位置が異なる
- 責任とは、構造上の位置の問題である
これを整理すると、次の表になる。
| 問い型 | 説明者の責任 | 理解者の責任 |
|---|---|---|
| 対象の問い | 非常に強い | 弱い |
| 意味の問い | 中 | 中 |
| 妥当性の問い | 非常に強い | 弱い |
| 地平の問い | 中〜強 | 中 |
この表は、「誰が悪いか」を裁定するためのものではない。 どこを調整すれば問いが解消するかを見定めるための指標である。
この配分は固定ルールではなく、状況(情報の非対称性、説明が達成したいゴール、時間制約)に応じて連続的に変化する目安である。
例えば、説明者と理解者間で情報の非対称性3が大きい状況では、意味問い・地平問いの責任は説明者側に寄る(典型的には、教育の場面など)。 具体例として、専門用語を多用する説明では、意味問いの責任は説明者側に強く帰属しやすい。
5.6 本稿における「説明責任」への注意
最後に、本稿における「説明責任」という語法への注意を付しておく。
「説明責任」という語は日常的に道徳語として用いられがちであり、「わからせろ」「納得させろ」という要求を正当化する武器として機能することがある。 しかし本稿の枠組みでは、責任とは道徳ではなく構造である。
- 対象がズレているなら、説明者が対象を明示すべきである(対象の問い)
- 用語がズレているなら、双方が意味の接続を行うべきである(意味の問い)
- 理由づけが欠けているなら、説明者が明示するか、先送りすべきである(妥当性の問い)
- 前提が暗黙なら、説明者は前提を示し、理解者は自分の文脈と照合すべきである(地平の問い)
これらは「誰が偉いか」「誰が悪いか」の議論ではない。 認識の摩擦を、最小の介入で解消するための、構造的な配線図である。
6. 「充実」を促すための、問い操作
前章まで、わかりにくさとは「問いが未解消のまま残っている状態」であり、その問いの型によって説明者/理解者の責任配分が異なることを示した。
本章では、問いを解消して充実を成立させやすくするための具体的操作を定式化する。 ここで言う「充実を促す」とは、次の意味に限定される。
- 問いを 明示/先送り/削除 によって構造的に扱い、充実へ到達する摩擦を下げることである
- 説明の正しさ(証拠性)を保証することではない
この限定は重要である。わかりやすさを上げる操作は、適切に用いれば理解を助けるが、不適切に用いれば 証拠性の欠如を隠蔽する道具にもなる(第4章参照)。
本稿では、問い操作を次の3種に整理する。
- 問いの明示(explicitate)
- 問いの先送り(defer)
- 問いの削除(eliminate)
以下、それぞれを定義し、共通例に即して具体化する。
なお本章で扱うのは問いの内容に介入する操作であり、同じ問いのまま提示形式を調整して処理コストを下げる操作(処理操作)は7章で扱う。
6.1 問いの明示(explicitate)
問いの明示とは、暗黙に残っている問いを言語化し、「何が未確定で、何を埋めればよいのか」を可視化する操作である。
明示は、単に「丁寧に話す」ことではない。 問いの型(対象/意味/妥当性/地平)を特定し、その問いをそのまま文にして置くことである。
6.1.1 対象を明示する
共通例では、対象が効果主張であることを明示する。
いまの論点は「改善が見られるか」ではなく、「改善が見られることから薬の効果(服用→改善)を主張してよいか」です。
対象の明示は、説明全体の方向性を固定する。 これがないと、以後の説明がどれほど丁寧でも「何の話かわからない」という状態が残る。
6.1.2 意味を明示する
「改善している」「効果がある」といった語の用法の分岐点を可視化する。
ここでの「改善している」は、服用者に改善が観測されたという意味です。 薬の効果(因果)そのものはまだ結論していません。
あるいは、相関を「因果推論の手がかり」として扱うなら、その用法を宣言する。
ここでは観測された関連を、因果推論を始めるための手がかりとして扱います。 ただし、それだけで薬の効果を確定しません。
意味の明示は、責任が双方に分担される領域である(第5章)。
6.1.3 妥当性を明示する
「だから」の中身を言語化する。これは、わかりやすさに直結するだけでなく、証拠性にも接続する。
観測された関連から薬の効果を言うには追加条件が必要です。 たとえば自然回復や交絡の制御、介入に近い比較設計が必要になります。
妥当性問いの明示が欠けたまま断言すると、説明は「わかりやすく」なりうるが、証拠性は成立しない(第3.7、4.3)。
6.1.4 地平を明示する
前提・条件が暗黙であることを認め、最低限の範囲を宣言する。
この結論は、観測対象が◯◯の集団であり、 測定期間が△△に限られる、という前提のもとでの話です。
地平はそもそも、原理的に無限であるから、地平をすべて列挙する必要はない。 しかし「何が前提か」を一切言わない説明は、読み手に地平の問いを大量に発生させ、充実を阻害する。 故に、その説明が最低限、どの地平に(自覚的に)立っているかを明示する責任は、説明者にある(第5.4)。
6.2 問いの先送り(defer)
問いの先送りとは、問いが存在することを認めたうえで、「この説明では扱わない」「ここでは確定しない」と宣言する操作である。
先送りは、問いを無視することではない。 問いを無視すると、読み手は「未解消の問いを抱えたまま話が進む」ため、わかりにくさが増す。 先送りはむしろ、問いの存在を明示しつつ、説明のスコープを制御する操作である。
6.2.1 妥当性問いの先送り(断言の禁止として)
共通例では、「服用者に改善が観測された」という事実しか提示できていないなら、効果は断言できない。ここで先送りを行う。
このデータだけでは薬の効果は断言できません。 効果を主張するには、自然回復・交絡の検討や追加の設計が必要なので、 ここでは「服用者に改善が観測された」までに留めます。
この先送りは、わかりやすさを損なうように見えるかもしれない。 しかし実際には、読み手が抱える「なぜ言えるのか?」という問いを過剰に発生させないために有効である。
6.2.2 地平問いの先送り(前提の範囲宣言として)
前提が膨大で、この場で列挙できない場合、先送りが有効になる。
交絡候補の網羅的検討はこの場では行いません。
ただし、少なくとも主要な交絡(◯◯)については制御しています。
ここで重要なのは、「先送り=免罪符」ではないという点である。 先送りは、後で検討する責務(あるいは検討が必要だという認識)を残したまま、説明の焦点を保つ操作である。
6.3 問いの削除(eliminate)
問いの削除とは、前提を固定することで、問いが成立しないようにする操作である。
これは危険な操作である。適切に用いれば理解を助けるが、不適切に用いると「問いを封殺し、証拠性の欠如を隠す」ことになる。
削除は次の二種類に分けて考えるとよい。
- 正当な削除:スコープの固定・用語法の固定・前提の固定
- 不当な削除:反証可能性や検証要求を潰す、問いを人格に還元する
判定基準は、以下の二点である。
- 第1基準:反証可能性(検証要求)を形式的に潰していないか
- 第2基準:検証要求を実質的に潰していないか(例:「やろうと思えばできる」体裁で、必要情報・手段・アクセスを遮断する等)
削除によって反証可能性が形式的にせよ実質的にせよ潰されるなら、それは「問いを封殺し、証拠性の欠如を隠す」ことになる。
6.3.1 正当な削除:スコープ固定
ここでは因果推論の一般論ではなく、
この薬に効果があると言えるかだけを扱います。
対象や地平を固定することで、余計な問い(無限に発生しうる問い)を減らせる。
6.3.2 正当な削除:用語法の固定
本稿では「相関」は統計的相関(観測上の関係)の意味で統一します。
意味のブレが大きい語は、最初に固定すると問いが減る。
6.3.3 不当な削除:問いの封殺(わかりやすさ至上主義の典型)
以下は「問いの削除」に見せかけた封殺であり、証拠性を破壊する。
細かいことは気にしなくていい。改善してるんだから効く。
その反論は揚げ足取りだ。直感的に分かるでしょ。
これらは問いを減らすが、減らしているのは「不要な問い」ではない。 必要な問い(なぜ言えるのか/どう検証するのか)を潰している。
結果として、充実は成立しうるが証拠性は成立しない。象限モデル(4.5)で言えば「わかりやすい×証拠性が弱い」を量産する。
6.4 問い操作の適用手順
議論や説明がいき詰まったとき、本稿の枠組みでは次の順で介入するとよい。
- いま残っている問いはどの型か(対象/意味/妥当性/地平)
- その問いを解消できる位置にいるのは誰か(説明者/理解者)
- 明示・先送り・削除のどれを行うか
- その操作が証拠性を損なっていないか(封殺になっていないか)
特に (4) が重要である。 「わかりやすさを上げる」操作は、証拠性に対して常に両刃である。 問いを減らすことが、問いを解消することと同一だと思い込んだ瞬間、わかりやすさは説明の質の指標ではなく、正当化の代用品として機能してしまう。
6.5 「問いの操作」についての帰結
本章で定式化した問い操作(明示/先送り/削除)は、「わかりやすさ」を努力目標ではなく、構造操作の結果として扱うための道具である。 ここから、少なくとも次の三点が帰結する。
第一に、「わかりやすくする」とは「問いを減らす」ことではなく、「問いを構造的に処理可能な形にする」ことである(提示形式に対する処理は第7章で扱う)。 問いの削減は、正当なスコープ固定・用語固定として働く場合もあるが、同じ形式で「必要な問いの封殺」としても働きうる(6.3.3)。 したがって、わかりやすさの向上は、それ自体では改善と限らない。
第二に、「わかりやすさの改善」と「正当化の代替(封殺)」は、次の判定基準で区別できる。 ある説明が「わかりやすくなった」とき、そこで起きているのが改善であるためには、少なくとも
- (a)どの問いを扱ったかが追跡できる(問いの所在が明示されている)
- (b)問いを扱わない場合は、先送りとして宣言されている
- (c)削除が行われる場合でも、それがスコープ固定であり、反証可能性・検証要求を潰していない
という条件を満たす必要がある。 逆に、問いの所在が不明なまま「直感」「常識」「揚げ足取り」などで反証や検証要求が排除されるなら、それはわかりやすさ改善ではなく、証拠性の欠如を“充実”で覆い隠す操作である。
第三に、以上を踏まえると、説明の評価は「わかりやすい/わかりにくい」では閉じない。最低限、
- いま残っている問いは何か(対象/意味/妥当性/地平)
- それをどう扱っているか(明示/先送り/削除)
- その結果、充実は成立したか
- その充実は「なぜそれをそう見なしてよいのか」を対象から引き出せる形になっているか(証拠性)
という四点の組で行うべきである。 この手続きを飛ばして「わかりやすい = 説明が良い」「わかりにくい = 説明が悪い」と短絡することは、単に乱暴なのではない。 説明・理解・正当化という異なる次元を混同する誤りである。
これらを踏まえ、説明や議論の場で用いる定型句の例を以下に示す。
いまの論点(対象)は◯◯です。
ここでの用語◯◯は△△の意味で使います。
前提(地平)は◯◯に限ります。
この主張を言うには□□の検証が必要です。
ただしここでは扱わない(先送りします)。したがって結論は保留します。
6.5 補論:理解者側に由来する「わかりやすさ/わかりにくさ」について
本稿はこれまで、「わかりやすい/わかりにくい」という評価を、問い(対象・意味・妥当性・地平)の未解消という構造から説明してきた。 また第6章では、問いの型ごとに、説明者と理解者のどちらに構造的な責任が帰属するかを整理した。
ここで補足しておくべき点が一つある。 「わかりにくさ」の原因が、理解者側の条件に強く依存して生じるケースも、実際には存在する。
例えば、次のような場合である。
- 前提となる知識や技能が不足している
- 用語や論法に不慣れである
- 読解に必要な注意や時間を割いていない
- 文脈を恣意的に切り取って読んでいる
これらの場合、「わかりにくい」という体験は、説明の構造的欠陥を直接には意味しない。 同じ説明でも、他の理解者には問題なく充実が成立する、ということが起こりうる。
重要なのは、この点が本稿の枠組みと矛盾しないことである。 なぜなら本稿は、「わかりにくさ」を説明の欠陥や理解者の能力不足に即座に還元する立場を取っていないからである。 本稿が問うているのは常に、「どの問いが、どの位置で、どのように未解消になっているか」という構造である。
理解者側の条件によって充実が成立しない場合でも、そこには必ず、
- 問いが処理できないほど多い
- 問いの処理コストが過剰に高い
- 問いの所在を特定できない
といった形で、問いの処理に関する失敗が生じている。
したがって、「理解者側に原因がある」という指摘は、
- 説明が常に正しい、あるいは十分である
- 理解者が悪い/劣っている
といった道徳的評価を意味しない。 それは単に、「この場・この条件では、充実が成立しなかった」という事実を、構造的に記述しているにすぎない。
本稿が批判しているのは、「わかりにくい」という体験を無反省に説明の欠陥へと帰属する短絡であって、 理解者側の条件が認識に影響するという自明な事実そのものではない。
以上を踏まえると、「わかりやすさ/わかりにくさ」は、
- 説明の構造(説明の形式的表現など)
- 理解者の条件(前提知識、技能など)
- 両者が置かれた状況
という三者の相互作用によって生起する現象であり、そのいずれか一つだけに原因を固定することは、いずれの場合も分析を粗くする。
この点を確認したうえで、次章では、問いが残っている状況に対して、どのような操作を行えば充実を成立させやすくなるのかを、具体的に検討する。
7. 充実の処理条件 —— 形式的操作について
本稿はこれまで、「わかりにくい」とは問い(対象・意味・妥当性・地平)が未解消であり、充実に至らない状態であると整理してきた。 また第6章では、その問いを扱う操作として「明示/先送り/削除」を定式化した。
しかし実践では、次のような現象が頻繁に観察される。
- 対象・意味・地平・妥当性は同じ
- 追加の根拠も提示していない(証拠性も変えていない)
- それにもかかわらず、文章の分割や順序変更、段落化など提示形式の調整だけで「わかりやすく」なる
この現象は、第6章の問い操作(問いの内容に介入する操作)とは別に、充実の成立を左右する条件が存在することを示す。 本章ではこれを 充実の処理条件 と呼び、構造条件と区別して位置づける。
7.1 二層としての充実:構造条件と処理条件
充実の成立には、少なくとも二つの層がある。
- 構造条件:問いが原理的に解消可能であること (対象・意味・地平・妥当性が整っている/整えうること)
- 処理条件:その解消が、主体にとって処理可能なコストで提示されていること (読み進める手順・粒度・負荷が適切であること)
構造条件は、問いの「中身」に関わる。 処理条件は、問いの「処理過程」に関わる。
同じ問いでも、提示の仕方によって解消コストは上下する。 したがって「わかりやすさ」を充実の成立しやすさとして捉えるなら、わかりやすさは構造条件だけでなく処理条件によっても決まる。
7.2 処理条件の失敗は「内容の欠陥」を意味しない
処理条件が満たされない典型例は、次のような指摘として現れる。
- 文が長くて息切れする
- どこが要点なのか掴みにくい
- 途中で保持すべき情報量が多い
ここで重要なのは、これらがただちに
- 対象が不明確である
- 妥当性が欠けている
- 地平が不在である
といった構造的欠陥を意味しない点である。 むしろ「問いの中身(対象・意味・地平・妥当性)は概ね追跡可能だが、読みにくい」という評価が成立するのは、構造条件が概ね満たされているにもかかわらず、処理条件が満たされていない場合である。
したがって「わかりにくい」という内的体験を、即座に「説明が悪い(内容が欠陥だ)」へ帰属する推論は、ここでも誤る可能性がある。 そのわかりにくさが示しているのは、内容の欠陥ではなく、解消コスト設計の問題である場合がある。
7.3 処理操作:問いの内容を変えずに解消コストを下げる
処理条件を改善する操作を、ここでは 処理操作 と呼ぶ。 処理操作は、問いの内容(対象・意味・地平・妥当性)を変更しない。 変更するのは、問いを処理する際の負荷である。
つまり処理操作は、読者が一時保持する情報量と参照探索コストを下げ、処理順序を安定させる技術である。
代表的には次のような操作がある。
- 一文を分割する(保持すべき情報量を減らす)
- 段落を切る(処理単位を明確にする)
- 結論→理由→補足の順序を固定する(処理順序を安定させる)
- 既出語彙の再掲(指示対象の探索コストを下げる 例:「前述の~」「4章の~」など)
- 列挙化・図式化(並列構造の把握を容易にする)
これらは「問いの明示/先送り/削除」とは異なる。 問いの内容を増減させるのではなく、同じ問いを処理しやすく提示する操作である。
7.4 処理操作と「封殺」の区別
処理操作は、充実の成立を助けるが、証拠性を直接には増やさない。 また処理操作は、それ自体が封殺であるわけでもない。
しかし実践では、「わかりやすくする」という名目で、処理操作ではなく封殺が行われることがある(第6章)。 両者の判定は次の点でできる。
- 処理操作:問いの所在を保ったまま、処理コストを下げる
- 封殺:問いの所在を消す/検証要求を潰すことで、充実“だけ”を作る
したがって、処理操作は単なる「表面上のわかりやすさ」に回収されるべきものではない。 むしろ、必要な問いを残したまま充実を成立させるための、構造操作とは別種の技術として位置づけるべきである。
封殺かどうかの判定は、6.3で述べた反証可能性(検証要求)の形式的・実質的な維持という基準を援用できる。
7.5 小括
- 充実の成立には、構造条件と処理条件の二層がある
- 処理条件の失敗は、内容の欠陥を直ちに意味しない
- 処理操作は、問いの内容を変えずに解消コストを下げる
- 「わかりやすくする」が封殺とならないよう、処理操作と封殺を区別する必要がある
8. おわりに
「わかりやすい」「わかりにくい」という体験それ自体は、否定されるべきものではない。
しかしそれは、直ちに対象や説明の正当性あるいは欠陥を意味しない。
また「わかりにくさ」は内容(構造条件)の不足だけでなく、提示形式に由来する処理摩擦(処理条件の不足)としても生じうる。
本稿は、その体験を責任論や感情論ではなく、認識構造として扱うための語彙と枠組みを提示した。
「わかりやすさ」は便利な評価語である。だが便利であるがゆえに、しばしば正当化の代用品として誤用される。 わかりやすいことは正しいことを含意しないし、わかりにくさの原因は対象にあるとは限らない。 むしろ、わかりやすさを過剰に追求すると、必要な問い(検証・反証・前提)を封殺してでも充実を作りにいく誘惑が生まれる。
本稿が批判したいのは、まさにこの転倒――「理解の感覚」をもって「正しさ」や「説明の責務」を代理させる態度である。
わかりやすさは主観的だ。
だが、主観的であることは、「人それぞれ」といった思考停止で以て分析を止める正当な理由には、決してならない。