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#哲学 #読書メモ

読書メモ『はじめての哲学的思考』

苫野一徳 著『はじめての哲学的思考』の読書メモ。哲学的思考の基礎とその応用について。

大まかな内容

  • 「哲学的思考」について、著者の考えるコツとその背景
  • 科学・哲学・宗教の違いなど、哲学に関するよくある疑問・誤解への回答
  • 哲学的思考を実践する方法として、「超ディベート(共通理解志向対話)」の紹介と実践例

印象に残った点、感想

「帰謬法」の扱いについて

本書では、哲学的思考にとってのある種の仮想的として「帰謬法」が紹介されている。いわく、「帰謬法」をいかに回避するかが哲学の歴史でもあったという1

しかし、本書で語られている「帰謬法」は、どうにも辞書的定義とは大きく異なっているように思えた。

『岩波 哲学・思想辞典』では、以下のように解説されている。

1.西洋数学論理学における帰謬法 古代ギリシアで編み出された推論法で、間接証明や背理法とも言われる。ある命題を証明する時、その否定から矛盾を導き出し、そのことから原命題が真であることを主張する。2

2.インドにおける論法と位置づけ 一般に、インド論理学においては、定言的論証の補助的な手段であり、それ自身だけでは独立した正当な論証法とは考えられなかった。 その特徴は、常に、先行する命題は仮言的であり、それによって導かれる結論は偽であるということである。立論者は、対論者に対してある命題を間接的に証明するためにそれと矛盾した内容の命題を仮定し、それより両論者にとって明らかに偽である結論を導き出す。それによって、立論者は自らの命題の心であることを、対論者に証明することとなる。3

『広辞苑 第六版』では、端的に以下。

背理法に同じ。4

つまり、一般に言う帰謬法はすなわち背理法のことであると言って良さそうだ。 しかし、本書の「帰謬法」は「過度な相対化」「例外への固執」「二項対立の強制」といった複数種類の詭弁をすべて混交したもののように思える。

ひと言でいうなら、相手の主張の矛盾や例外を見つけ出し、そこをひたすら攻撃・反論しつづける論法だ。5

要するに、議論に勝つためには、僕たちは相手にこういいつづければいいわけなのだ。 「あなたのいっていることは絶対に正しいといえるの?それって絶対なの?ぜぇぇえっったいなの?」と。 (中略) でも、これはやっぱりあまりにむなしい論法というほかない。6

帰謬法には、実はあるカラクリがある。

それは、どんな議論も「真か偽か」の対立に持ち込み、その上で相手の主張が「偽」であること、あるいは「真」とはいえないことを論証するというものだ。

でも、これは実をいうと、第6講で紹介した「問い方のマジック」なのだ。こうした二項対立的な問いは、実は問いの立て方それ自体をまちがってしまっているのだ。7

この本を読んだ上で「帰謬法」という語彙を用いる際は、注意が必要そうだ。

本書の背景と思われる哲学思想

本書では、特にフッサールの影響が色濃いと思われる。

竹田青嗣を引いて「欲望相関性の原理」などが紹介されているが、これの原型は、あるいはそのものはフッサールの志向性原理であるように思われた。「思考の始発点」などの概念も、学問の基礎づけを志向したフッサールの理念に通じるところを感じる。

他、本書では言及されていないが、ヒュームなどイギリス経験論の影響も感じる。本書では、「事実から当為は直接導けない」などを危険な論法として紹介している8。本書ではその指摘の元としてマックス・ウェーバーを挙げている9が、大本を辿ればデイヴィッド・ヒュームによる「ヒュームの法則」だろうか。フッサールも(たしか)イギリス経験論の影響を受けていたから、間接的に影響を受けている、というのは考えられるのかもしれない。

「哲学」ではなく「哲学する」ための本

本書では各種哲学思想の説明が大幅に簡略されている(特に、フッサールに顕著)他、おそらく他にも影響を受けていると思しき哲学思想への言及も、おそらく簡略のために省略されているように見える。そのため、本書を以て名詞としての、いわば学問としての「哲学」を始めるのは、いささか危ういものを感じる。

一方、このぐらい軽快に、しかしある程度の理論付け背景とともに、雑な相対化に流されることも回避しつつ「本質」を求める行為として(いわば、動詞として)「哲学する」ための一冊としては、本書は良い一冊であるようにも感じる。

ただし、本書もまたフッサールの影響を色濃く受けているとともに、個人的にフッサールびいきであることも、無関係ではないかもしれない(ある種の身内びいき?が混ざっているかもしれない)。

全体のまとめ

厳密な学問としての「哲学」を行うには物足りないが、思考の実践として「哲学する」ためには良き入門書であると思う。この本を一冊読んでおくと、今後哲学に興味を持った時に「なぜこんな議論をしているのか」「なぜそんなことに疑問を抱くのか」「なぜそんなことを問題としているのか」についても、理解が早まるかもしれない。

Footnotes

  1. 苫野 一徳(2017)『はじめての哲学的思考』(ちくまプリマー新書) p.83 “実は哲学の歴史は、ある意味ではこの帰謬法との戦いの歴史でもあったともいえる。”

  2. 『岩波 哲学・思想辞典』p.323r

  3. 『岩波 哲学・思想辞典』p.324l

  4. 『広辞苑 第六版』p.698

  5. 苫野 一徳(2017)p.73

  6. 苫野 一徳(2017)p.76-77

  7. 苫野 一徳(2017)p.90

  8. 苫野 一徳(2017)p.121

  9. 苫野 一徳(2017)p.135